2022年7月18日

コロナになってからもう3年経つ。

いろんな場所に自分自身の頭の中で考えていることを書いていたら収集がつかなくなっていることは反省している。

思い立ったが吉日とはよく言うけど、基本的にわたしの人生なんてそんなもんである。

今はとにかく海外に行きたくてたまらない。これまでと少し違うのは、これからの人生について考えている点だろうか。

四半世紀ちょっと生きたくらいで「人生」がどうとか「生き急いでいる」とかそういうことを口にするのは何もわかっていない証拠ではあるが、何もわかっていないからこそ自分の五感でいろんなものを感じたいとか、そういう中身のない漠然とした気持ちでいっぱいになっている。

原因は明らかで、女性というだけで同じことをやっている男性社員より給料が少ないことや、昇進する道がないことや、がんばっていることに対して「それっていいように使われているだけだよね」と心無い言葉を言ってくる周りの人間など、複数ある。

いままでわたしは自分の置かれている環境に満足できなくなったら、都度逃げてきた。

逃げることで自尊心を保ち、心身の健康を保ってきた。

学生時代の友人に「また居心地が悪くなってきたから転職しようと思っている。いままでもこうしてきたし、今回も逃げればわたしの健康は保たれる。」などといったことを伝えたとき、「逃げるのは悪いことじゃないし、いつも逃げるって言ってるけど“次のステップに進む”って考えるほうがよくない?」と言われハッとした。

思い込みは非常に恐ろしいもので、からだに、あたまに染み付いてしまっている。

染み付いたものをどうにかして方向転換するにはこうした友人たちの助言が必要不可欠だ。

数年前の投稿を読み直して、わたしは変わったのだろうかと考える。

いつの日も、過去の自分が書いた文章はどこから見てもわたしでむずかゆい。

仕事でも行間を読むのは避けたい

今日も家から出なかった。朝起きて、カーテンを開けて、窓を開けて空気を入れ替えることで満足してしまう。

仕事で後輩に強く当たってしまう。学生時代のアルバイトでも後輩とうまくいかなかった記憶がある。自分が選んだ言葉に自信があるわけではないが、言葉を発する時に相手がどう捉えるかを考えられない人に苛立ってしまう。後輩はそのタイプに当てはまる。在宅勤務を続けているからこそ、ビデオ通話を行ったりはするものの、やはりベースはテキストでのやり取りが多い。そのテキストでのやり取りの中で、後輩が割ととんちんかんなことを書いてきたりするので、本当に理解できているのか不安になるし、なぜ私が行間を読まなければいけないのか、と疑問に思ってしまう。行間を読むのは恋愛ドラマだけにしてほしい。仕事において、行間を読むという行為はできるだけ避けたい。

結局、本当に後輩が理解できているのか不安になった、ということをそのまま伝えた。そのまま伝えるのはダメージが大きいだろうな…と考えたが、もうかれこれ 1 ヶ月ほど同じことの繰り返しを行っている。日に日に私のストレスは蓄積されていき、この様だ。返ってきた文章は、やはり私の言いたいことが伝わっていない様子で、また疲れてしまった。私の書く文章が分かりにくいのかなと考えたが、同期に内容は確認してもらっているので、問題ないと考えている。もう定時の時間も過ぎていたので、返信はせずにチャットのステータスを「不在」にして、こうしてブログを書いたり、英語の勉強を行ったりしている。これでいいのだろうか。私はどうするのが一番いいのか、まだわからない。

26 歳、大きな目標設定

17 時になるころにはもう日が落ちて、在宅勤務を行っていると、パソコンとモニターから発せられる光で自分が作業していたことに気づく。

転職して 1 年が経った。薄給で心と身体をすり減らすだけの仕事から離れて 1 年経ったということでもある。この 1 年は、ただただ「普通の生活」を取り戻すことに専念していた。9 時から仕事をし、夕方に仕事を終え、日付が変わる時間にはベッドの上にいるような生活だ。

もうそんな普通の生活を 1 年も続けていると、ふとした瞬間に「これ」といった武器を持っていない自分にうんざりする瞬間がある。

一応、理系学部の大学は出たものの、全く違う航空業界に就職し、転職して今は IT 系の会社にいる。学生時代にいやいや勉強していたことがやっと生かされると思ったけれど、圧倒的に知識量も経験もないことに悲しくなってしまった。

文系出身でコードなんて書いたことありません、という同期たちがバリバリ仕事をしていて苦しくなる。苦しい、つらい、悲しい、などと口走っていては何も始まらないので、あと 3 年以内に修士課程に進むことを大きな目標とした。

自分なりにいろいろ調べてみたが、コンピュータサイエンスを学べる大学院はあまり日本にないらしい(私立なども視野に入れればもちろんある)。海外の大学院に行くことも視野に入れながら、英語の勉強も合わせて行い、情報収集を行っていく予定だ。どうしても今はコロナウイルスの関係で海外に行く機会がないが、渡航の制限等が緩和された際にすぐに動けるように準備をしておきたいと考えている。

もう親のすねをかじることはできないし、自分が大学生のときに借りていた奨学金の返済もあるので、大学院に行くとなると貯金をしたり、新しい奨学金探しも行わなければ。こうやって自分自身のやりたいことをつらつら書いていると、やらなければいけないこと、今すぐできること、少し頑張ればできること、など明確になってきてとてもいい。

明日も仕事に向き合いながら、なぜ大学院に行きたいのか、行ったら何がしたいのか、など掘り下げていこうと思う。

はてなブログに出戻りしようと思う

10 月が終わろうとしている。

まだ日中は 20 度くらいまで気温が上がることがあり、渋谷の街では半袖の人も少なくない。

最近は note で物書きをしてみようと思って続けていたのだけれど、ある炎上がきっかけで note というプラットフォームを使うことに疑問を感じてしまった。

多くの人に読んでもらう機会に恵まれるのは流行りのプラットフォームのいいところだけれど、運営側がとりあえず火消しをしました、といったような感じでいられるとつらい。

逃げ場所みたいにはてなブログを使っているのは何だか良くない気がするけど、書くこと、書き続けることが大切だから、私はいろんなところに書き続ける。

 

以前の投稿を見返してみると、私にも学生の時代があったのかと思い出させてくれる。

入りたかった業界に入ることはできたし、何とか社会人としてやっていけてる。

人生何があるかわからない、とはよく言ったものだけど、明日も私は私の人生を堂々と歩く。

どうかみんな幸せでいて

本格的に外出自粛を始めてから1ヶ月近く経とうとしている。

何もすることがないわけではないのだけれど、なんにもしたくなくて平日も在宅勤務を行いながら気持ちが少し落ち込んでいることに気がつく。

どうしたって打開策を考えて、いつもどおりのパフォーマンスを発揮しないといけないこととか、こんなご時世なのでいつもどおりのパフォーマンスを発揮すること自体が難しいとか、いろんな意見があってわたしはもちろん後者よりの考えなんだけど、その立場ですよ、と表明できる機会があるかというと、ない。悲しいなあ。

個人の自由ってなんですかね。

わたしはただ推しを愛でて、幸せになりたいだけだし、ちゃんと仕事もしたい、誰かに認められたい。

誰かに必要とされたいんだろうな、とぼんやり考える。

愛情表現があまり上手とは言えない国に生まれてしまったため、愛にかかわることになるとどうしても調子が狂ってしまう。

ただの言い訳でしかないんだけどね。

どうかわたしの愛する人たちが幸せで、健やかに過ごしてくれることを願う春。こんなに心細い春は上京した年以来だろう。

なんにもない日々

毎日夕方に通知が来るLINE NEWSで東京都の本日の感染者を確認する。

増えたり、減ったりしていって、なんとも言えない気持ち。

もう1ヶ月ほど外出っぽい外出をしておらず、デベソのわたしは死にそうな気持ちになったりもするけどどうにか生きている。

本を読んだり、こうやってブログを書いてみたり。

自分自身の気持ちを書き表すことはわたしにとって大切なことであることを再認識させてくれる。

情報をオープンにして注目されたい気持ちと、誰にも知られずひっそりと書きたいことを書いていたい気持ちのはざまでもう何年も揺れている。

けっきょく考えた後に、すきな人たちに認められていれば大丈夫ということが頭ではわかるけど、わたしの心はまだまだ弱いのですぐに「ああでもないこうでもない」と考え始めてしまうのがちょっとした悩み。

前の記事にも少し書いていた「HSP」が関連しているのではないかと思う。

最近はテレビでも「HSP」について取り上げられるようになっていてびっくりしている。理解者が増えればいい。こうやって社会に多様性という言葉がなじんでいくのであろうか。

将来は台湾かニュージーランドに移住したいな。どちらも日本と同じ島国だけれど日本みたいに窮屈ではないんじゃないかなと思う。何も知らないけど。

30歳になるまでには何かを成し遂げたい。こんなことばかり言ってる人がなにもできないんだよ、と坂元裕二が嘆いていたのを思い出す。

 

8月31日の小学生みたい

坂元裕二のことがだいすき、といいつつも東京ラブストーリーは見たことがなくて、YouTubeで探して冒頭10分くらいだけ見た。

リカが完治に対して言った「8月31日の小学生みたい」というセリフがなんとも坂元裕二っぽくて、ほれぼれした。

すこしのんびりする時間もあることだし、ドラマとか本とか映画とかたくさん触れていきたい。

 

最近HSPについてよく調べるようになった。

インターネットで診断テストもあって、自己診断ができるみたいで、診断してみたら普通にHSPだった。

 

他人の挙動が気になって仕方ないし、感受性が強い。

社会人になったらすこし苦労するかもしれないけど、HSPとはちゃんと向き合っていきたい。

それに、ちゃんと知ることが大切なんじゃないかなって思ってる。